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第13話「私が疑惑を追及する理由」 – 日向消費者問題フォーラム

第13話「私が疑惑を追及する理由」

ところで日向市民の皆さん、私がなぜこうも談合疑惑の追及や給食センター建設計画において4億円の大金がドブに捨てられた(どなたかの懐に入った)ことを、執拗に口にするのか、誤解がないように説明しておきます。

勿論ひとつは、不正を許さない倫理道徳的な意味です。
第7話でも述べた通り、私は、1年余り、〇〇生命の転換契約詐欺を訴えた裁判の手伝いをして、悪事を働く連中の考え、精神構造(モラル)がよーく分かりました。
彼らの目的は100%”金”です。つまり「金への執着心はあるけど、良心がない。」のです。
良心があって、人間愛に溢れ、フェアプレイの精神を持っている人が、詐欺、談合、贈収賄、ドーピング違反、虐待、イジメを働くでしょうか?
詐欺、談合、贈収賄、ドーピング違反、虐待、イジメを働く人が、良心があって、人間愛に溢れ、フェアプレイの精神を持っているでしょうか?
そんなことはあり得ません。
いいでしょうか、皆さん。騙されてはいけません。
良心がなく、人間愛が希薄で、フェアプレイの精神を持っていないから、詐欺、談合、贈収賄、ドーピング違反、虐待、イジメができるのです。
詐欺、談合、贈収賄、ドーピング違反、虐待、イジメを働いた人が、本当は、良心があって、人間愛に溢れ、フェアプレイの精神を持っている人だったという事例は、人間の長い歴史の中で、一例たりともありません。
絶対に、その人の社会的地位や言葉や笑顔に騙されないことです。

そういう人々を黙認して放置するなら、社会は間違いなく、腐敗し、秩序が不安定になり、活力がなくなり、全ての人に不幸をもたらします。
「警察がいるではないか?」という意見の方もいらっしゃると思いますが、警察が一生懸命になっても、とても実際の数に追いつきません。したがって、マスコミを始めとする周囲の監視の目が必要なのです。

二つ目は、不正によってなくなったお金がもし残っているなら、これを、世のため人のために生かすことができます。寄附や故郷納税や政府の支援金に頼ることなく、それを上回る金額のお金を自由に使えるのです。
例えば、4億円というお金で、4000万円のプロジェクトが10件実施できます。
福祉に、教育に、貧困対策に、観光に、地元企業支援に、その他様々な企画など、日向市全体のために使えるのです。
もし、給食センター建設計画において4億円のコスト削減を実現していたら、そうした資金を、易々と捻出できたのです。その効果たるや、どれだけの可能性や付加価値を生むことができたかを考えると、残念でなりません。
私と会のメンバーが8ヶ月間に渡ってボランティアで活動したのは、最終的にそこに到達するためでした。

それから、これは私の個人的な想い入れがあるのですが、子供達のためです。
私は、かつて、21年間日向市で学習塾を経営していましたが、直接指導した生徒の数は1000名を越えます。
自然に、指導をしている内に、子供を通して、多くのものが見えるようになりました。
勉強以外に子供が抱えている多くの問題(学校、部活、家庭、友人関係、精神面)、経済、親の価値観、指向、モラルなどです。
子供は、まさに、社会や親を映し出す鏡だと感じました。そして、いつしか、強い危機感を抱くようになりました。
学力レベルの低下がその理由ではありません。
子供達の価値観や指向が非常に即物的であり、利己的な傾向があったからです。それは、ほとんど親のそれを映し出していました。
大人が、親が、いくら質の高い教育を施し、立派な訓示をしても、大人が、親自身が即物的であり、利己的であれば、子供もまた確実にそうなります。
どんな立場であれ、大人は子供達の将来のために、自ら範を示す責任があると思います。

やってみると分かりますが、実は、疑惑追及は”善行”と受け止められずに、嫌われ役を引き受ける嵌めになります。
しかし、そんな訳で、公共の福祉実現の代償と諦めて、自分なりに信念に基づいてやっています。

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