ウソの評価

私は、裁判をきっかけに、ウソへの意識が一気に高まりました。同時に、私はますます、ウソが嫌いに、ウソつきが嫌いになりました…
私の中では、ウソは悪です。決して清廉潔白主義で言うのではありません。つまり、こういうことです。

先程、裁判の話をしました。アメリカと日本の裁判の違いを紹介しました。日本の裁判に、アメリカのように、偽証を許さない秩序があれば、多くの裁判で正義が、正しい方が勝つでしょう。その結果、正義が守られ、ウソをついてはいけない、人を騙してはいけないという道徳観が、社会の中で、人々を支配します。

しかし、日本ではそうなっていません。裁判官は、ウソを容認し、ただ原告に立証責任を押しつけ、被告弁護士は、被告の利益を守るために、ウソをアドバイスし、自らもウソを口にして、裁判に勝つことだけを目指します。

これで、正義が、社会道徳が守られるでしょうか?いい社会が創れるでしょうか?次代を担う子供達の、手本となれるでしょうか?
弁護士は、自分の子供に、「裁判に勝つために、ウソを駆使するのが、有能な弁護士として欠かせない能力だよ。」とでも、説明するのでしょうか?

ウソは必要悪ではありません。単なる悪です。
しかし、ウソは、今後もずーっと依然として強い勢力を保つでしょう。
ウソの被害者にならない知恵が必要です。

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